姫路市花田、市川に架かる新小川橋のたもとにある「お通公園」。ここに宮本武蔵の恋人お通の像があります。昭和を代表的する時代小説、吉川英治の『宮本武蔵』の一場面、姫路を出立した武蔵に置き去りにされ、愛する武蔵を追いかけるお通の姿。
この場面は吉川小説の世界観でお通も創作の人物ですが、武蔵自身は実際に元和三年(1517)に姫路新田藩主の本多忠刻に剣客として招かれており、剣術指南をしていたという記録が残っています。
ということで、姫路にもゆかりが深い宮本武蔵の紹介です。
姫路市花田、市川に架かる新小川橋のたもとにある「お通公園」。ここに宮本武蔵の恋人お通の像があります。昭和を代表的する時代小説、吉川英治の『宮本武蔵』の一場面、姫路を出立した武蔵に置き去りにされ、愛する武蔵を追いかけるお通の姿。
この場面は吉川小説の世界観でお通も創作の人物ですが、武蔵自身は実際に元和三年(1517)に姫路新田藩主の本多忠刻に剣客として招かれており、剣術指南をしていたという記録が残っています。
ということで、姫路にもゆかりが深い宮本武蔵の紹介です。
宮本武蔵、天正十年(1582)に生まれ、名字は新免(しんめん)、幼名は辨丞(べんのすけ)、通称を武蔵と言い、諱は玄信(はるのぶ)。江戸時代初期に活躍した剣術家で優れた兵法家としても有名ですが、書画や作庭の才もあり、芸術家としての評価が高い武人です。
また、晩年に記した「五輪書」は、剣術や兵法のみならず、その内容は現代のビジネス書にも通じると言われ、今も愛読者が多い。かく言う私もそのひとり。
剣術家としての武蔵は、幼少の頃より剣の修行を積みます。数々の決闘で名を馳せ、各地の武将に剣客として招かれては生涯無敗。京都の吉岡道場との争いや佐々木小次郎と戦った巌流島の決闘を含め、勝利数は60以上と言われています。
時代を超え剣豪としての名声が高い武蔵ですが、実は出生地がよくわからない。一時は出生地論争にまで発展したこともある謎多き人物なんです。
出生地の有力候補と言われるのが兵庫県高砂市米田。ここは、武蔵と後に養子となる甥の伊織が生まれた村だとされ、西光寺境内には宮本武蔵・伊織の「文武両道」像が建てられています。
岡山県美作市宮本も候補地のひとつ。生家はもちろんのこと、祭り太鼓のバチさばきから二刀流のヒントを得たという讃甘神社や武蔵自身が祀られる武蔵神社などがあります。
また、町を挙げて「武蔵の里」をPR。「武蔵武道館」や、なんと「宮本武蔵駅」までありました。
他にも揖保郡太子町。ここも有力地のひとつ。江戸の大火で生家や古文書などの記録は焼失しましたが、生家跡と伝えられる場所には今も「武蔵の産湯井戸」が残っていました。
ここまでくると、もう邪馬台国論争!!
武蔵殿、貴殿はいったいどこから来たの?