鳥取市にある国指定史跡『青谷上寺地遺跡』より新たに人骨片350点が出土というニュースが!!
早速、現地説明会に行ってきました。
青谷上寺地遺跡は、平成一二年(2,000)に100体以上分の人骨片5,300点が出土、内110点に殺傷痕が確認されたため、『魏志倭人伝』に記されている「倭国大乱」の犠牲者ではないかと騒がれた遺跡。
今回の調査では、2~5歳の幼児の骨も含まれていると・・・。
ワクワク♡
現地到着。眼前に弥生時代終末期の杭列や矢板列、古墳時代の建物の柱材がドーン!!
説明によると、弥生時代の造成地跡で杭や矢板は土留めのためのものと。
その造成された面には古墳時代に入ってから平地式建物が建てられたと。
お目当ての人骨は、弥生時代後期後葉に掘られた溝の中から・・・。今回は大人だけではなく、幼児も含まれており約10体分以上に相当するらしい。
また、木製の高杯や刻印された容器、琴、鉄鏃なども出土していました。
多くの戦死者が埋まっている弥生後期後葉に溝、その後、弥生の終末期に造成がなされ、古墳時代以降も人々が集落を営む。
うーん、圧巻!!集落の変遷が手に取るように分かる。
まさに「地下博物館」、久々にワクワクが止まらない!!
話は変わって、「邪馬台国」のこと。
邪馬台国が成立する前、日本は内乱状態(倭国大乱)で、今回の人骨はその頃のものです。
てことで、内乱後に女王卑弥呼を擁立して建国された邪馬台国はどこ?
「九州」?「畿内」?はたまた?
研究者の中には、私の故郷である伊都国の王が東進し、西日本一帯を制圧、その結果、畿内に政権を樹立したという「東遷説」を唱える方も・・・。
いずれにせよ、「金印」が出土した墓が卑弥呼の墓で、そこが邪馬台国になるのでしょうが。
まぁ、私は昔から「畿内説」なんですがねぇ。