ゴールデンウィーク帰省ネタの最後です。
 実家から車で30分程のところに綺麗なお城があります。昨年暮れに放送されたN〇Kの「日本最強の城スペシャル」でも紹介された「唐津城」です。
00abcb6977787be75a01c1f9da7947a1
満島山
陸続きですが、海上に浮かぶように見えます。
isidann-e1653897301711
城門址から続く石段
本丸へと続きます。
 唐津城は、豊臣秀吉の家臣寺沢志摩守広高によって慶長十三年(1608)に築城された連郭式平城です。
 このお城の魅力は何といってもその立地。唐津湾に突き出た満島山(標高41m)に築かれているため「海城」とも言われ、海上に浮かぶその姿はまさに絶景です。
011676329a78afd0bdc5dbabb5781043
唐津城絵図(江戸時代)
天守閣は無く、天守台のみが描かれています。

7398001601149f1097f1bcf6ca34849e
現況図
唐津湾に突き出た状況が分かります。
 築城した寺沢広高は関ケ原の戦いで東軍に組した所謂外様大名ですが、功績により十二万三千石にまで加増された大大名。
秀吉の死後、廃城となっていた名護屋城の資材を築城に再利用し、建設の際には九州の多くの大名が加勢したと言われます。
 しかし、外様の宿命、二代藩主堅高の時に起こった天草四郎の乱を抑えきれなかったとしてお家は断絶、代わって播磨国明石城主だった大久保忠職が城主として入城します。ここでも播磨と繋がってるんです。
 唐津市のどこからでも見えるお城、天守閣は昭和41年に復元されたものですが、半世紀を経て色合いも落ち着き、威風堂々としています。

IMG_9459-e1653897388785
唐津城 天守閣
 昭和41年に「慶長様式」で復元されています。
 近年の発掘調査で、秀吉ゆかりの金箔瓦が出土したり、天守台の下から古い石垣が発見されたりと新発見が続いています。
これも魅力のひとつ、ほんと素敵なお城です。
 お城自慢でした!!
c8c8aece6ef509848ec6c445b706eae91
旧石垣
天守台の下で確認された旧石垣。今とは違った郭があったと考えられます。
02beb370047934f0bdcb7a71c8440b7c
金箔瓦
 旧石垣盛土より出土。豊臣政権との強い繋がりが伺えます。
 さて、最後は九州の代表格、「熊本城」で締めくくり。
 加藤清正が慶長十二年(1607)に中世城郭「隈本城」を改修した城です。
市内が一望できる茶臼山に築かれた平山城で、石垣づくりの名人と言われた加藤清正が造った反った石垣、「武者返し」で有名です。
8da810700b5490a26d69e6112ec10599
茶臼山
 市内から見上げる高台。天守閣がそびえます。
f6a02fb35dd94744734bf32d56e686ae
熊本城 天守閣
 熊本県のシンボルと言えます。

eb2d921d4d6115c9f69cbc84ad9adf2f
天守閣
 西南戦争で焼失した天守が昭和35年に復元されました。
7e717e679f62990219084a6584950d37
城 石
 「武者返し」と呼ばれる石垣
九州に行かれる際はこの二つの城は外せません。是非、訪れてみてください!

 余談ですが、熊本城は今、2016年に発生した熊本地震からの復旧工事の真っ最中、完全復興は2037年と遠い道のりですが、工事とともに、石垣の崩落原因などの科学的調査も同時に行われています。
e45216dbbadaa3398187305e121adf62
崩落した石垣
 崩落の原因など科学的な調査も進められています。
967a5ae22aa00ef3a475d8ea4ae5dc26
熊本地震の傷跡
 未だ石垣が崩れています。完全に復興するのは2037年。
 形あるものはいずれ崩れる。とは言うものの、石垣などの現況測量や力学的な構造調査、土壌調査などなど、今を生きる私たちが今できることを確実に行い記録する。このことが文化財を後世に伝えることに繋がります。