日本人は物事を分けることが大好きな人種です。

前期・中期・後期、左大臣・右大臣、天上・天下、陰(月)・陽(太陽)、それに四季。

 四季、春夏秋冬は四区分だけでは収まりがつかず、さらに二十四節季、七十二候にも分化します。また、その節目を二至二分(夏至、冬至、春分、秋分)と。ほんと分けるのが大好き!

 さて、1年間を二つに分けますと、そう6月は1年間の折り返しです。

中間地点である6月末日、この日は「夏越し」や「晦日の大祓え」と、言い、どこの神社も鳥居などに茅の輪を掛けます。「茅の輪くぐり」や「輪抜け」と呼ばれていますが、この輪を3回くぐると残りの半年を凌げると言われています。半年間の穢れを祓い、残り半年をつつがなくと。

93f81ccf3c1061a95d36550c81e4e928-e1655785351968
吉備津彦神社(岡山県岡山市)
 大吉備津彦大神が主祭神。山陽道屈指の神社です。

edcebcc2df4f721a3c594620f8085683
現人神社(福岡県那珂川市)
 福岡の密かな恋愛スポット!住吉三神を祭る神社です。

話は変わりますが、京都では茅の輪を潜るときに「蘇民将来、蘇民将来・・・」と謎の呪文を唱えます。

また、祇園祭では山鉾町の粽にも「蘇民将来子孫也」と書かれた護符が付けられています。

この蘇民将来、実は人の名前です。

  『備後国風土記』に出てくる説話で、蘇民将来と巨旦という兄弟の物語。

「その昔、宿を求めにきた男に対し、裕福な弟、巨旦は断り、貧しい兄、蘇民将来は貧しいながらのおもてなしで応じたため、男は蘇民の娘に茅の輪を授けて立ち去った。男は征服者であるスサノオ命で、後にこの地に侵攻、茅の輪をもつ蘇民の子孫以外を皆殺しにした」と。

この説話が元で、茅の輪が厄神除けに、また、護符などに「蘇民将来子孫家門」と書かれるようになったと考えられます。

この風習は京都だけではなく、伊勢地方にも。二見町では正月飾りであるはずのしめ縄を1年中掲げます。このしめ縄にも「蘇民将来子孫家門」の字が。一種の呪符なのでしょう。

6d64e9fe85505e361725a255fa72304d
北野天満宮(京都市上京区)
 桜門にも大きな茅の輪が掛けられます。

f796841ee4bae6e82d14e1d5158598ed
北野天満宮の茅の輪
 6月25日に潜ってきました~
5dcadcf4f36c0818a5b34d8bc99bc816
伊勢市二見町のとある軒先
 伊勢市二見町では1年中、「蘇民将来子孫家門」と書かれたしめ縄がかけられています。
4086b0a551d6a7e4a23acb97275d77b51-e1656631209496
「射楯兵主神社」
 播磨国の総社。祭神は射楯大神、兵主大神。
 境内にはたくさんの末社もあります。

94837f884b20a9add7e403bb2820a5ac-e1656630572536
『輪抜け神事』
 毎年恒例。6月30日夕刻から7月1日にかけて、茅の輪がくぐれます。

今年は、総社「射楯兵主神社」の輪抜けも賑わいを取り戻しました。。

さあ、残り半年、みなさん「大晦日」まで頑張りましょう!!