2021年12月29日、福岡の西日本新聞にうきは市の西ノ城古墳が「双方中円墳」と確認されたとの報道がありました。
2か所に方形の張り出しを持つ珍しい形で、3世紀後半に築かれたものと。
研究者からは大和王権や吉備の楯築古墳との関係性が指摘されています。

2022年1月4日、朝早く吉備津彦神社にお参りに行ったついでにその楯築遺跡(墳丘墓)を見てきました。
楯築墳丘墓は2世紀後半から3世紀前半に造られた双方中円形の王墓で、張り出し部を含めると全長は72m、弥生時代の墳墓としては日本で一番大きなお墓。頂上に5枚の巨大な石が立ち並ぶところから日本のストーンヘンジとも呼ばれています。
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王墓の丘史跡公園として整備されてます。
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詳しい説明版でした。
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楯築遺跡(墳丘墓)
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墳丘頂上部には5枚の巨石が!!
 この楯築墳丘墓は卑弥呼の墓ではと考古学ファンが注目する箸墓古墳(奈良県桜井市)に隣接し、その祖型と考えられている纏向石塚古墳(前方後円墳丘墓)の出現に大きく関係しているとも。
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最初の前方後円墳 箸墓古墳
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史跡整備されている纏向石塚
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纏向石塚前方後円墳丘墓
 弥生時代の墳丘墓と言えば、九州にも郷里の糸島(伊都国と呼ばれていた地域)にある平原遺跡1号墓が有名です。
2世紀末から3世紀初頭に造られた方形周溝墓と呼ばれるお墓で、日本最大直径46.5㎝の大鏡5面を含む40面もの銅鏡が出土しています。
また、このお墓の被葬者は女性、そう女王様です。こここそが卑弥呼の故郷と唱える人が多いのもうなづけます。
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伊都国王の墓・平原遺跡(1号墓)
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再調査時の平原遺跡
 地方の小さなニュースでしたが、国家の起源にかかわる大発見!!あらためて考古学ってロマンがあるなぁって思いながら、大学1年の最初の講義で恩師水野正好先生が話したことを思い出しました。
 「前方後円墳は、吉備の楯築の土木技術に千葉の神門古墳の形が加わり、北部九州の鏡を副葬する風習が融合して誕生したもの、全国な王が話し合って卑弥呼をたて、邪馬台国が誕生したんですよ」
 
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久しぶりに発掘調査報告書を開きました!!
 この話には感動したなぁ!もう40年も前のことなのに。 
 そう、九州で生まれ育った私ですが、それ以来、邪馬台国畿内説論者です。