日曜夜の定番NHK大河ドラマ、みなさん見られていますか?

『どうする?家康』、初回放送の視聴率は低かったみたいやけど、まぁ立ち直るでしょう、松潤主演やし。

 今、大河ドラマでは若き家康が奮闘していますが、今回は視聴率アップに貢献するため、天下統一前夜の足跡をご紹介!!

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園城寺(滋賀県大津市)
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園城寺三重塔

 先ずは滋賀県、園城寺(三井寺)。

 ここの三重塔は家康が建てたものです。正確には奈良吉野の比蘇寺(ひそらでら)東塔を文禄三年(1594)に豊臣秀吉が伏見城へと移築したもの、それを慶長六年(1601)に再度、家康がここに移したものです。

 秀吉死後、関ケ原の合戦で政権を掌握した家康が、直後に行ったのが秀吉の所業を打ち消す事業。歴史上の政争が判る遺構です。

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二条城(京都市中京区)
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二条城中堀

次は京都の世界遺産『二条城』!!

 関ケ原の合戦で勝利した家康が、慶長八年(1603)に西日本の大名に造らせた城です。

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唐門
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唐門のしつらえ

 御所の守護と上洛の際の宿泊地として造られたものと言われますが、西日本の大名を屈服させ、未だ勢力を保つ豊臣家の監視のために建てたもの。ここでは豊臣秀頼と今後の政権について話し合いも持たれています。 

 それにしても立派な門、さすが家康って言ったとこ。

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知恩院(京都市東山区)

 続いては知恩院。

 熱心な浄土教信者であったと言われる家康が、徳川家の永代菩提所と定めた寺院です。

以降、徳川将軍により堂宇が整備されていきますが、京都観光の中心地である東山界隈では特に目を引く巨大な三門。これは元和七年(1621)に二代将軍秀忠が建立したもので、高さ24m、横幅50mという日本最大の木造山門と言われています。

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豊国神社(京都市東山区)

最後は豊臣家を滅ぼす切欠となった方広寺の鐘。

慶長十二年(1614)、秀頼が再建した方広寺の鐘の銘に『国と刻まれていたことから、家康の名を二つに割ったと言う言いがかりつけたもの(方広寺の鐘事件)。

この事件により、大阪冬の陣が勃発、夏の陣へと続いて豊臣家は滅亡、家康が天下統一を果たしました。

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方広寺の鐘
 方広寺跡に建つ豊国神社には、内戦の切欠になった鐘が吊るされています。
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「国家安康」「君臣豊楽」の文字

二つの大坂の陣において徹底的に破壊された大阪城は完全に埋められ、家康の命によって建て直されます。これが、「徳川大阪城」ともいえる今の大阪城です。

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大阪城(大阪市中央区)

 豊臣政権から徳川幕府へ、日本史の転換点がわかる遺構は今ではどこも観光地ですが、歴史上の偉人たちが争った場所なんですね。

それでは、みなさん! 

大河ドラマを見た後には、歴史の流れを感じる関西地方へ是非、お越しを~