と、簡単な話ではない。
お城は元々、その地域を治める領主の住い兼政務を行う所、また、軍事基地でもあります。
徳川秀忠が出した「一国一城令」により慶長二十年(1612)以降はその数が減りましたが、それでも幕末まで200近くの城郭が存在していたと言います。
その後、明治の新政府が「廃藩置県」の前に出したのが、通称「廃城令」と呼ばれる政令。
これにより一国一城の主から城は取り上げられました。
廃城令、正式には『全国城郭存廃ノ処分並兵営地等選定方』という太政官からのお達し。
内容は大きく二つ、陸軍省に向けられた「全国ノ城郭陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ直轄セシム」と大蔵省向けられた「全国ノ城郭陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等大蔵省ニ処分セシム」の文言。
要は軍事訓練などに必要な城を選び陸軍省の管轄とし、それ以外は大蔵省で処分しないってこと。
対象とされたのは全国の180程の城と陣屋、内、処分対象となったの城は140か所(陣屋除く)と言われています。