姫路を代表する戦国武将・黒田官兵衛が最初に仕えた主君は小寺氏。姫路市御国野町にある御着城を居城としていた武将ですが、出仕した官兵衛はここで元服し、初陣も小寺氏の下で飾ったと伝えられています。
その後、秀吉、家康と天下人の軍師となって活躍し、晩年は筑前国(福岡県)へ移り、都市づくりに専念し、そこで隠居することになります。
こう考えると、姫路と福岡はゆかりが深いんです!
ちなみに現在の福岡県と言う地名は、官兵衛の故郷である備前国邑久郡福岡村から付けたそうです。
さて、話は変わって弥生時代。
私の郷里は、古来「伊都国」と呼ばれ、「邪馬台国」と肩を並べる国家が形成されていたと中国の歴史書『魏志倭人伝』に記されています。
この記事を裏付けるように弥生時代後期の女王墓とされる平原遺跡(福岡県糸島市)からは40面もの銅鏡が出土し、現在、そのすべてが国宝に指定されています。
この女王墓、考古学用語では「方形周溝墓」と呼ばれる方形の溝で囲まれた土盛りの墓で、その規模は東西13m、南北9.5m。
で、このお墓に似たものを探していると姫路のお隣、赤穂市に!!
有年原・田中遺跡(兵庫県赤穂市)と命名された方円形周溝墓で、その規模は直径19m。
丸と四角、貼り石の有無、豪華な副葬品の埋葬などの違いはありますが、周溝の中の墓(殉葬?)、主墓周辺の集団墓、王族の墓地としての連続性。
本当に似ています。
と、小難しい歴史の話はさておいて、最近、私にはハマっているものが、それは・・・。
元祖ラーメン長浜「元長屋」。
姫路市勝原が総本店で、高砂市に支店があるのですが、何と言ってもそのルーツが、「元祖 長浜屋」(福岡市中央区長浜)
らしいのです。
その昔、福岡長浜で長らく修行した店主が姫路でトンコツの味を受け継ぐ。
うーん、姫路に居ながらして郷里福岡を感じる!
そりゃ、住みやすいハズやわ!!