発掘現場で確認された古墳時代の住居跡から竈が検出されました。
 竈はそれまでにあった住居の床を掘り窪める「炉」とは違い、住居の壁に付けられる古代のコンロです。形状はドーム状に高く土を盛り上げ、甕や甑を据えるための口が開いている画期的な構造と言えます。
 そう言えば、25年ほど前に故郷で発掘した記憶が・・・。袖の部分だけしか残ってなかったけど、古式須恵器を伴う5世紀前半の住居跡だったかなぁ。
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古墳時代の焼失住居。左上が竈
 竈は5世紀初頭に朝鮮半島から伝わったと考えられ、竪穴式住居という形態が続く平安時代までその形を変えることなく作り続けられます。その後、住居の形が掘立柱建物となった中・近世以降には土間に据えられた時代劇でよく見る竈になります。
 この新しい形の竈は、「くど」または「へっつい」と呼ばれています。通常は二口か三口ですが、使用人が多い商家や豪農家では、六つ、七つの掛け口があるらしいです。
 さて竈を訪ねて放浪の旅です。
 まずは、姫路市林田町の旧三木家住宅。
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白壁が続く大庄屋の居宅
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入母屋造りの旧三木家住宅
 ここは江戸時代、林田藩の大庄屋を務めていたお宅。入母屋造の母屋の土間に立派なくどが二基据えられてました。ひとつは主人・家族用の朱塗りに化粧されたもの、もう一つは奉公人用の大きいもの。ともに三口で煙突はありませんでした。
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家族専用の「くど」

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大庄屋だけあって設えも立派です。
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奉公人用の「くど」
庄屋家族とは別にされてました。

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炭などを掻き出すための広い焚口
一度に多くのごはんを作ったのでしょう。
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天井左側に煙出しがあるため、煙突などは必要ありません。
 次に訪れたのは福崎町にある柳田国男生家。
 日本民俗学の先駆者である柳田国男が幼少期に暮らしていた住まいで、柳田いわく「日本一小さな家」と。
 ここのくどは、二口で飾り気もないものでした。
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柳田国男生家。
「日本一小さな家」の「くど」です。
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小さくて簡素なものでした。
 旅の最後は比叡山延暦寺。根本中堂近くのお茶屋さんで店先の朱塗りのくどがありました。
 観光客相手のためか朱塗りで表面も丸く仕上げられています。また、焚口にはガスコンロが据えられ、煙突も付いていました。

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比叡山 延暦寺
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根本中堂近くの茶店。
店先に立派な「くど」がありました。
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焚口にはガスバーナー!煙突も見えます。
 こうしてみると、素朴なものから化粧土で装飾したもの、現代風に改良したもの、形もいろいろです。
 ちなみに京都では、竈本体だけではなく、その空間も「おくどさん」と呼び、神聖な場所として荒神さんや大黒さんをお祀りしてます。
 人と暮らし、火と食。竈は生きて行く上で大切な場所なんですねぇ。