神功皇后、第十四代仲哀天皇の后であり、応神天皇の母皇。
『日本書紀』や『古事記』、各地に残る『風土記』に登場する日本史上最初の女性リーダーと言われ、約70年にわたって摂政を務めた執政者である。また、闘神と称えられる一方、『日本書紀』には「幼而聡明叡智、貌容壮麗」と記されるスーパーウーマンでもある。
伝説上の人物、実在した女王、後に創り上げられた人、諸説あるだろうが、神功皇后の動向については西日本一帯に語り継がれており、ここ姫路にも多くの伝説がある。

 と書き始めた理由は、姫路同様に私の故郷にも神功皇后にまつわる伝説や史跡が多く、連休中に改めて郷里を回ってみて古代の不思議を感じたため。

 さて、姫路市の神功皇后伝説と言えば、「行矢伝説」が有名である。
 「行矢伝説」とは、九州平定に続き韓半島南部への遠征を終えた神功皇后が大和に帰還する途中に播磨の港に寄港、そこで忍熊王たちの反乱を知り、麻生山(小富士山)から戦始めとして試し矢を三本放ったというもの。この矢が落ちた場所が今の手柄山の生矢神社と辻井の行矢社射楯兵主神社、青山の稲岡神社の三社と言われる。
 この伝説、九州の熊襲討伐に向かう折に放ったものとか、矢が落ちた場所が違ったりとかするものの、広く市内に伝わっている。

c1dde8b96bd9d35b75577868a18a7a08-e1653360160211
麻生山(標高173m)
 その形から「小富士山」や「播磨富士」とも呼ばれ、ここから神功皇后が矢を放たれたと云う。
72aab15ffbe5e4109dd8e49f200fcf98-e1652862136969
行矢神社(姫路市手柄山)
6fc4e684d2d810dcd332f3771f8f6607-e1652862169351
生矢社射楯兵主神社(姫路市辻井)
IMG_9681-e1652862576543
稲岡神社(姫路市青山)
 伝説は西へ西へ。
 仲哀天皇とともに九州平定に向かう神功皇后は瀬戸内海を西に進みながら各地に寄港する。岡山県牛窓において男装し、広島県三原市では航海のための飲料水を汲み上げ、山口県美祢市で兵を集め、宇部市では軍船を作るために木を切ったと。

 そして、いよいよ九州へ。
f70062e8f8cbe5c183b5a5c686306b1a
瀬戸内海(東を望む)
 神功皇后は瀬戸内海を進み九州へと
IMG_5685
関門海峡(山口から九州島を望む)