九州で生まれ育った私は、当然のごとく博多弁をしゃべります。しかしながら、なぜか若い頃から関西への強い憧れが、特に関西弁に対して。
高校生の頃、堀辰雄のエッセイ『浄瑠璃寺の春』を読んで感銘を受けたことがあります。
九州で生まれ育った私は、当然のごとく博多弁をしゃべります。しかしながら、なぜか若い頃から関西への強い憧れが、特に関西弁に対して。
高校生の頃、堀辰雄のエッセイ『浄瑠璃寺の春』を読んで感銘を受けたことがあります。
堀夫妻が浄瑠璃寺(九体寺)への道を里の娘さんに尋ねる場面
「九体寺やったら、あこの坂を登りなはって、二町ほどだす。」
また、夫人と先ほどの娘さんが浄瑠璃寺境内の柿の木について話している場面
「みんなで七本だす。七本だすが、たくさんなりまっせ。九体寺のかきや言うてな、それを目当てに、人はんがおおぜいハイキングに来やはります。あてがひとりでもいであげるのだすがなぁ、その時のせわしないことやったらおまへんなぁ。」
このエッセイ、70年以上も前、昭和十八年(1943)に発表されたもの。
今の時代、「あて」とか「だす」とかは使う人はいないでしょうが、当時の私にはなぜか、心地よい響きでした。
浄瑠璃寺は本尊が九体の阿弥陀仏のため、「九体寺」とも呼ばれ、宝池を挟んで西に本堂、東に三重塔を配置しています。西方浄土を表現していると言われる伽藍は本当に美しいものです。
先日、紅葉狩りへ浄瑠璃寺を訪れましたが、境内へと続く坂道、今にも里の娘さんが出てきそうな民家などを目の当たりにし、「あぁ、堀 辰雄の世界観だぁ」って改めて若いころを思い出し、関西に来て良かったと実感しました。
そう言えば、小学生の頃に見ていた吉本新喜劇、当時のトップは岡八郎、花紀京、船場太郎、木村進などなど。(ご存じの方は50歳オーバーでしょう)笑ったなぁ。
あるあるですが、私も関西の人は、みなさんこう言う方ばかりと思っていました。こんな人に囲まれて生活できたら楽しいだろうなぁ。って真剣に思っていましたが、もしかしたらこの感覚が今の私を形成したのかな。
んな、あほな!!