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発掘前の姿
 駐車場の隅にこんもりとした生垣が・・・(パネル展より接写)

 奈良県法隆寺の参道に近接する駐車場、ここに昔から古墳ではないかと言い伝えられる盛土が。「船塚古墳」と呼ばれ、

かつて樟の舟が出土したとか・・・。

 この謎の盛土、発掘調査の結果、鉄剣や玉類、たくさんの須恵器が出土し、6世紀後半の古墳と判明したと報道されました。

 こんなニュース聞くと見に行くしかないよね。

 

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調査後
 左側の松並木が法隆寺参道

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現地説明会資料
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遺物出土状況図
(現地説明会資料より)

 現地到着、日曜日で作業は中止でシートが掛けられていましたが、ほんと法隆寺参道のすぐ脇!!

   石室内の見学はできなかったけど、横の観光案内所でパネル速報展が開催されており、堪能できました。


 うーん、法隆寺造営や参道整備の際でも墳墓しての意識が働き、破壊を免れて現代に残ったんだろうなぁ。

 

でもここで疑問が。いったい誰の墓?

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石室内の状況
                 (パネル展より接写)
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須恵器出土状況
                 (パネル展より接写)
 弥生時代の文字や硯とされる石製品の問題はさておき、古墳時代には確実に文字が存在しています。古くは埼玉県の稲荷山古墳(5世紀後半)から出土した金錯銘鉄剣や熊本県江田船山古墳(5世紀後半)出土の銀錯銘大刀には、「ワカタケル大王」の文字が記されていても、古墳の被葬者の名前まではわからない。
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法隆寺
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法隆寺境内
 今回、確認された船塚古墳は7世紀初頭に建立された法隆寺の脇。当然、寺院ですから経典にかかれている文字を読んでお経を唱えていたはず。

 古墳築造から法隆寺造営までその差は数十年のはずなのに被葬者の名前が伝わらない。


不思議だなぁ!!