今年の8月、広島県福山市にある福山城の天守閣に2,000枚の鉄板が張られ、白と黒のコントラストが鮮やかに復元されたとのニュースがありました。

元和八年(1622)に福山藩主水野勝成によって築城されたこの城は全国で唯一、鉄砲、砲弾除けのための鉄板が張られていたとか。城は太平洋戦争の空襲で全焼してしまったため、鉄板が張られていたことは古文書に記された文言でしか判断できませんが、近年、ある農家の一室で数枚の鉄板が見つかり大騒ぎ。福山城の復元に大きなヒントを与えたと言われています。

 と言うことで、白と黒のコントラストから唐突ですが、先日見てきた漆黒の城、岡山城の紹介です。

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岡山城内堀の石垣
 内堀から見た天守閣です。
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旭川添いから見た櫓
 現在、改修工事のために城内には入れませんが、旭川添いから見ることができます。

    岡山城は慶長二年(1597)に天下人豊臣秀吉が最も可愛がった大名宇喜田秀家が築城したもの。天守閣は三層六階建て、望楼形式をとる織豊時代を代表する城郭です。

一説によると秀家が秀吉の大阪城を模したとも言われているそうですが、天守の壁に黒漆の下見板を取り付けていたため、外観が漆黒に輝き、烏城(うじょう)と呼ばれていたそうです。

 このお城、実は姫路城とも深い関係が・・・。

岡山城主であった宇喜多秀家は関ケ原の戦いで西軍側に加担したためお家は改易処分、秀家は八丈島へと島流しとなります。その後、宇喜多に代わり城主となったのが筑前国(福岡県)を治めていた名島城主小早川秀秋。

余談ですが、小早川に代わり筑前を治めたのが当時、豊後(大分県)中津城にいた黒田官兵衛。以後、官兵衛は福岡、博多の礎を築きます。

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名島神社(福岡県福岡市東区)
 名島城跡に建てられた神社です。
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筑前名島城跡の石碑
 城主小早川秀秋は関ケ原の合戦後に岡山に移ります。
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今も残る名島城の礎石
 名島城からは博多湾が見渡せます。

さて、小早川が入った岡山城ですが、僅か2年で秀秋が急死します。小早川家には嫡男がいなかったため、政情は混沌と。

ここで改めて入城してきたのが姫城主池田輝政の次男である当時5歳の池田忠継。まさに急展開、これ以降、明治まで姫路の流れを汲む池田家が代々、城主を務めていくことになります。

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「白鷺城」こと姫路城
 白壁も鮮やかな姫路城。
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「烏城」こと岡山城
 姫路城と対比されることが多い漆黒の城です。

 豊臣政権から徳川幕府へと移る盤面の上で、播磨、備前、筑前、豊後と有力大名たちが移動し、城主も変わる。

池田忠継にとっても、白(白鷺城)から黒(烏城)への石の変換です。

   まさにオセロゲーム!!

岡山城天守閣は戦前まで国宝に指定されていましたが、昭和二十年の岡山大空襲で焼失、その後、戦後の復興天守ブームの波に乗って昭和41年(1966)に鉄筋コンクリートで復元されました。

今は令和の大改修工事の真っ只中。城内は立入禁止になっていましたが、近寄れる所まで寄って写メ!!それでも漆黒の城は迫力満点でした。

リニューアルオープンは11月3日とのこと。さてさて、どこまで復元されているかな!