お盆休み、「六道まいり」に行ってきました。

 場所は京都市東山区の六道珍皇寺。ここは閻魔大王と小野篁(おののたかむら)をお祀りしていることで有名です。


line_2018421727198045
「六道まいり」のポスター
 「お精霊さん迎え」とも呼ばれ、お盆の前、7日から10日の期間で行います。

line_2018422837456118
六道珍皇寺(京都市東山区)
 臨済宗建仁寺派の寺院で、ご本尊は薬師如来。
9cca5e03cdbcd7cacfc8497c24504434
閻魔大王像
 御存じ、冥界の裁判官。六道(天道、人間道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のどこに行かされるやら。
b3ad8947eb9dc5acc28bfc73ebd86a21
小野篁像
 平安時代初期に活躍した公家(従三位)、文人としても知られます。『今昔物語』などに冥府の補佐官としての逸話が残されています。
 小野篁とは平安時代初期に実在した役人であり、昼は官僚、夜は閻魔大王の相談役という二刀流をこなした人物。彼が冥界に赴く際に使った現世と冥界をつなぐ通路である「冥土通いの井戸」が今も残っています。
line_2018421476505337
小野篁卿旧跡
 六道珍皇寺は、篁ゆかりの地。ここ一帯が「六道の辻」と呼ばれています。
64a90195adc70be496a1de21a3d42660
冥土通いの井戸
 赤い建物の右手に見えるのが井戸です。

 さて、話は変わって、後期古墳の代表的な主体部である「横穴式石室」。この石室には遺体を治める玄室に羨道部(センドウブ・エンドウブ)と呼ばれる通路が付いています。

古墳時代前期の石室は「竪穴式石室」という直上から掘り込み、板石などを積み上げたもの。遺体を安置した後に板石で蓋をする、一回きりの個人(専用)墓、これに対して通路を設けて出入り可能とし、何度でも追葬できる横穴式石室は所謂、「家族墓」と呼べるものです。

line_2018419208157109
横穴式石室 (『定本 発掘調査のてびき』より)
 左側が玄室、右側の細長い部分が羨道部。

 5世紀初頭、九州には竪穴式石室の側面に入口を設ける、「竪穴系横口式石室」と呼ばれるものがありましたが、これに羨道という通路が設けられたのが横穴式石室です。若いころ、何で羨道が必要なんだろう?めんどくさっ、と思いながら調査していた記憶があります。
line_2018422221792420
石舞台古墳(奈良県明日香村)
 日本最大の横穴式石室です。
line_2018422541224399
石舞台古墳の羨道部
 今は羨道部の天井石が無くなっています。

 この羨道という玄室に続く通路について、よく引き合いに出されるものが、『古事記』に記された、黄泉国訪問譚です。

 イザナギは、死んでしまった愛する妻イザナミに会うために黄泉の国に赴きますが、死後、腐敗し変わり果てたイザナミの異形に恐れを為して逃げかえるという神話です。要は夫婦喧嘩のお話し。

 この中で、怒ったイザナミは逃げるイザナギを黄泉国の女たちを使って追いかけさせます。イザナギはあの手この手でこれを振り払い、やっとの思いで現世の入口、黄泉平坂へ。

 ここでイザナミと対峙しますが、最後には入り口を大きな岩で蓋をして離縁。

 

 死後、腐敗した異形の姿は古墳の被葬者のこと。また、イザナギが逃げる道程が横穴式石室で言う羨道部、蓋が閉塞石。そう、羨道部は黄泉国への通路という概念、うーん、何となく納得。

line_2018421954464139
玄室から見た羨道部
 冥界である玄室から明るい現世へ。

   16日の夜、鴨川のほとりで

  もしも、私がイザナギだったら・・・。

 愛する人を見て逃げるかなぁ? せやけどビビりやからやっぱ逃げるよなぁ


 と、自問自答しながら「大文字の送り火」を眺めていましたとさ。

line_2018420701805077
京都五山の送り火 「大文字」(如意ヶ嶽)
 3年ぶりの全灯!!雨にも負けず綺麗でした。