ここ数日、考古学業界?!が賑わっております

連日、様々な考古に関するニュースがメディアに紹介されていますね。
6月だけでも大き話題がたくさんありました。

吉野ヶ里遺跡の石棺墓
八尾市で道鏡ゆかりの「ゆげ」寺の遺構発見
2m越えで話題になった【蛇行剣】の柄に漆や赤色顔料を確認
滋賀で弓具の一種である「靫(ゆき)」の部材発見
大山古墳(仁徳天皇陵)のレーザー測量

などなど・・・・

そして!忘れちゃいけない沖代遺跡です。

6/24に現地説明会が開催されましたが、300人近くの方が来られたそうです。
(吉野ヶ里遺跡の現説と同じ日やで!)
沖代遺跡は昨年度に引き続いての調査になります。

昨年度の調査では全国的にも例が少ない古墳時代中期~後期の集落跡が見つかり、
今回の調査も期待大
な感じだったんですが・・・
今回の調査ではさらに古い【縄文時代】の遺構が発見されました


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メディアへの発表によると、
縄文後期の中ごろに使用された土器と見られる出土品があったそうです。
さらに、この時代の遺跡として柱穴と炉のある竪穴建物がまとまって発見された例は
県内初なんだそうです~。
出土品も興味深いものが見つかっているので紹介してきます!

まずは現説資料です。


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沖代遺跡の周辺にも時期は色々ですが、遺跡があることが
1枚目資料からお分かり頂けるかと思うのですが・・・
この辺って結構な人気の住宅スポットやったんかなと思ったり。
なんでしょう?揖保川の魅力?!
揖保川は昔から暴れ川やったそうなので、周辺の土壌環境は良かったのかな?

そんな沖代遺跡で発見された興味深い遺物を紹介しますっ


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〇〇式と称されている土器。
この〇〇式と言うのは分類の1つなのですが、
標式となる遺跡名や地名が付きます。
【西平式】と言うのは熊本県にある西平貝塚からきており、
同様に【元住吉山式】は神戸市西区にある元住吉山遺跡からきてます。
〇〇で作られた土器、と言う意味ではないですよ~


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石核(せっかく)は、
剥片(はくへん)石器と呼ばれる道具を
作ったあとの残り?です。
剥片石器にはナイフや匙など色々種類があります
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正直、私のような ぺー オブ ペー には分かりませんが
この小さいの土偶のカケラですってよ
資料によると石棒の素材は徳島で産出される石やって。
熊本や徳島と交流があったって事?!
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せっかくなので土偶アップです。
でもね、土偶要素が私には分らなくて、こういう理由で土偶なんですよ!
って説明することが出来ないんです。申し訳ない
なので代わりにmatsuuraコソッと裏話?!でも・・・
この土偶のカケラが発見された事により残りのパーツ大捜索が行われたそうです。

まぁ、結果残りは発見されなかったんですが。
どこにいってしまったんでしょうかね~・・・土に還った?!

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全景写真です。
さてさて、建物跡は何個かな?
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当日は間近で遺構を見学。
普段は一般の方は立入禁止です~
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パネル展示では各建物跡の
個別写真が展示してます~
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当日は既に綺麗になった状態を見て頂いていますが、
実際はこのように掘っています~。
作業風景を写真と言う形であれ来場者の方に見て頂けるのは嬉しいです

映画とか漫画とかのイメージが先行してしまって、
「刷毛」持ってコチョコチョしてるか、
銃やムチ持って敵に追われて駆けずり回ってるか・・・と思われがちな発掘調査。
まぁ銃やムチ持って知識振り絞ってトラップくぐっては娯楽の世界ってのは
皆さんもお分かりでしょうが
「ハケ」でコチョコチョもね、もちろんあります。
ありますけど、ほとんどの作業は写真みたいに大きな道具持って
ガッツリかつ繊細にやるのが現実です笑

と言うわけで実際の作業を見て~


 縄文時代って諸説あって確かな数字では言えませんが、
約14,000年程度続く長い長いながーーーーーーい歴史があるんですよ。
日本(と言う島)の歴史年表で考えると年表のほとんどがこの縄文時代になります笑
弥生時代が600~1000年程度の期間と考えられています。
まぁ「今日から弥生時代だよ!!」みたいなお知らせは無く、
私たちが勝手に区切っているだけなのですが。

一応、日本は2000歳を越えていて世界の国々の中でも長老?ですが、
それですら及ばない長い長い歴史が「日本」以前にありました。
今回の沖代遺跡はその痕跡を知る貴重な場!
しっかり調査を行って記録と言う形で後世に残していきたいです