そしてベンチでくつろぐおじさん2人
もう十分歩いた!!と言ってたふっくん。
ちゃんと歩いて偉かったね
で、ちょっと補足?です。
金沢城の天守閣ですが、焼失したのはめっちゃ前です。
江戸時代の時点で天守閣は無かったらしく、
天守閣より小さめの3階建て?櫓があったそうですが、これまた焼失。
そのまま天守閣がないままを貫きました。
なぜ、天守閣を再建しなかったのか?
それは加賀藩は幕府から反乱因子として目をつけられていたからではないか、
と言われています。
加賀藩は外様ではありましたが元は徳川家の敵対勢力でした。
そこに加えて加賀百万石と評されるほどの財力
幕府はいつ謀反を起こされるか分からん!とずーーーっと警戒してたようです。
実際、ちょっとお城修復(無断で)したり船買ったり、
戦での労をねぎらった事により【謀反】と疑われて大変やったみたいです
なので、どうせ再建したって目つけられるだけやから天守閣いらない
ってなったのでは?と言う説が有力なんだそうです。
そして、金沢城の石垣についてです。
金沢城は【石垣の博物館】と呼ばれる程多種の石垣を見る事が出来るそうです。
【自然石積み】【粗加工石積】【切石積】
私たちも入って石垣見てアレコレ議論してたんです。
あっちとこっちで積み方違うやん!とか綺麗過ぎん?とか
門の写真に写っている石垣が【切石積】
その名の通り切石を用いた石垣なのですが・・・
なんでも積んだ石の型取りして、それに合わせて次の石を加工して隣に積む
と言う大変手間のかかった石垣です。
さらにこの切石積み石垣の中でも表面加工してあるものがあり、
表面を平らにしてさらに角を縁取りするひと手間が加えられたものも
これは人目につきやすい場所に使用されているそうで、
加賀藩の財力?勢力?を伺い知る事が出来る石垣です
私は見学していないのですが玉泉院丸庭園は石垣込みでデザインされたお庭で
石垣がそこにあって当たり前と言うお庭です。
美的センス大爆発
加賀藩藩主の前田家は幕府から警戒されていたことから軍事面ではなく文化や工芸に
その財力を費やした事で今の金沢、石川県があります。
さぁ、お昼食べて
散歩して
次は・・・
ほろ酔い気分をお届けします~